2011年10月31日

砥峰高原/ススキの大草原

 先日、10月17日には竹田城趾、翌日、18日にはススキの大草原で有名な「砥峰高原」に車で行った。
 朝来市新井の駅前からR312で生野から栃原高原の麓、栃原川沿いに走り途中で市川と合流。そしてJR播但線も市川沿いの渓谷を走っている。この辺りは播但線に乗っていても景色の美しいところだ。
 昔々、SLが走っていた頃、新井駅から乗って生野峠のトンネルまでかなりの急勾配で蒸気機関車はモクモクと煙を上げてゆっくりと昇って行く。そのままトンネルに突入する。トンネル内ではいくら窓を閉め切っても、あの石炭の煙が入ってくる。ちょっと臭いどころではない! やっとのことで生野駅に到着。そして、次の長谷駅までいくつかトンネルを抜け、下り坂か軽快に市川の美しい渓谷沿いを木々の合間をすり抜けるようにくねくねと走る。
 そんなことを思い出しながら走っていると長谷の町が見えて来た。そして県道一宮生野線北西に走る。この辺りはまるでスイス(行ったことはないが)あたりの谷間を走っているようだった。
 前を二台の観光バスが走り、数台の車がその後を列をなして走っている。その後をしばらく走っていると、急に視界が開け、ススキの原が見えて来た。平日と言うのにこんな山中に観光客がゾロゾロ溢れている。
 ここは「村上春樹氏原作のノルウェイの森」のロケ地でさらに有名になったみたいだ。http://www.norway-mori.com/top.html
 さあ!高原を散策!!
DSC_0018.JPGDSC_0017.JPGIMG_1503.JPGDSC_0044.JPGDSC_0065.JPGリンドウ:漢名:竜胆(漢方薬で根っこを竜胆瀉肝湯に使われる)DSC_0071.jpgDSC_0086.JPG秋のキリン草DSC_0089.JPGDSC_0090.JPGセンブリの花(腱胃薬/千回振り出しても苦い)DSC_0104.JPGDSC_0141.JPGDSC_0149.JPGDSC_0155.JPGDSC_0159.JPGDSC_0163.JPG
 これらの地形は人工的地形らしい。大河内高原利用ガイドによると
 ■ 鉄穴流し(かんなながし)による地形:兵庫県の中・西部の山地では、地質が山陰花崗岩系の岩石である場合にはほとんどの例外がないぐらい鉄穴流しが行われた人工の地形が見られる。鉄穴流しは、風化した花崗岩の表面の真砂をかき取り、それを水に流して水底に溜まる砂鉄を撮る方法で、砥峰高原でも、非常に細かな起伏や角張った斜面、砂で満杯のなだらかな谷間に、昔の鉄穴流しの影響を見ることができるらしい。ふむふむ、なるほど!?
 この後、福知渓谷を通って一宮に抜けるつもりだったが、この前の台風の影響でか、通行止めになっていて、峰山高原経由で一宮に抜けることにしたがこの後、、、
posted by 椿菴 Ching-an ちんあん at 02:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年10月27日

朝来・竹田城趾

 竹田城:またの名を『天空の城」「虎臥城」「安井ノ城」とも言うらしい。

 先日、タイに住む娘夫婦が一年ぶりに帰って来て、隣町の竹田城趾に行った。秋も善し、冬の雪景色も、春の桜の咲く頃も、新緑の夏も善し。向いの立雲狭から観る雲海の中の天空の城跡も綺麗みたいです。
DSC_0001.JPG

大手門
DSC_0005.JPG
DSC_0008.JPG竹田城下町
DSC_0011.JPGDSC_0012.JPG北側、和田山方面を望む
DSC_0013.JPG西北を望む
DSC_0028.JPG天守閣付近
DSC_0036.JPG南側、新井、生野銀山方面を望む
ウキペディアに詳しく歴史が掲載されています:http://ja.wikipedia.org/wiki/竹田城
また、YouTubeで竹田城で検索すると、角川映画「天と地」のロケのセットで城が築かれた様子が出ています。


posted by 椿菴 Ching-an ちんあん at 21:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年10月19日

えにし庵 感月祭

Moon Light Celebration 2011

11月12(土)十六夜

「祈りの月光祝賀会」


 今年もまた恒例の「えにし庵感月祭」がやってきました。
生駒山系の麓、四条畷神社の近くの野外能舞台のある気持ちのいい庵「えにしし庵」
もうかれこれ20年目くらいだろうか? 一年に一度、中秋の名月の頃に集って、皆で楽しむ。
 
 まず、体操をして、お互いに身体をほぐしあい、美味しいお料理を頂き、気持ちの良い音楽を聴き、踊りを観て、一晩楽しむ。
是非、お越し下さい。

詳しくは:http://www.notus.dti.ne.jp/~mushimal/2011enishian-1.html

DSC_0077.JPGDSC_0081.JPGDSC_0081.JPGDSC_0111.JPGDSC_0121.JPGenisi-1.JPGenisi-2.JPGenisi-3.JPGenisi4.JPGenisi-5.JPG
posted by 椿菴 Ching-an ちんあん at 22:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年10月11日

激動の2011年

DSC_0036.JPG
 一月に投稿して以来、ほんとに色々有り過ぎて、再び投稿する暇も意欲もなかった。
 1995年の阪神淡路大震災から17年などと云っている内に、3月11日は東日本大震災。
 5月から6月にかけ、我家も大移動。
 そもそも、阪神大震災の時に、西宮で被災し、阪急西宮北口近くの高木小学校の体育館で3ヶ月間、避難所生活を経て宝塚市山本に移り住んだ。
 宝塚山本は本当に環境は抜群に良いところで、植木屋さんの町で、我家は少し高台で、大阪平野が一望でき、二階で寝ていると、毎朝、生駒山系から上る朝日が我が身の股の間から昇る。
 ずーっとここに住めたらと思っていたが、そうもいかず、母一人住む兵庫県朝来市の実家に戻って来た。
 5月から乗用車で毎週、蟻さんのように引越荷物を運び、さらに田舎に帰っては、がらくたをごみ処理場に運び、最後の引越荷物を運び終えたその6月14日の夕刻に突然と呼吸困難になり、翌日、近所の病院で胸部レントゲンを撮ると「肺が凋んでまっせ!」と言われ、姫路の病院で手術し2週間の入院となった。
 なんとかの不養生の祟りか? はたまた計画の無防備か?
DSC_0039.JPG